ポンヌフ
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ポンヌフ
今も現役で利用されるパリ最古の橋
ポンヌフはシテ島の先端にかかる石造りのアーチ橋。左岸からシテ島までの5つとシテ島から右岸までの7つの合計12の半円状アーチから成っていてます。名前は「新しい橋」という意味ですが、1606年にアンリ4世によって造られたパリでもっとも古い橋です。ポンヌフが造られるまで、パリの橋は木造でした。石で造られた初めての橋だったため、「新しい橋」という意味のポンヌフになったと言われています(白い石材で光り輝くように見えたので「新しい橋」という意味のポン・ヌフになったという説も)。ことわざにもなったポン・ヌフ
フランス語に"Se porter comme le Pont-Neuf"(ポンヌフのように頑丈だ)という言葉があります。多くの橋は崩壊して架け替えが行われましたが、ポン・ヌフは建設して400年以上が経った今でもセーヌ河に架かっています。
新しい景色を生んだポン・ヌフ
またポン・ヌフは橋の上に住居のない初めての橋でもありました。そのため、ポンヌフは住居に邪魔されずに美しいセーヌの風景を眺められる初めての橋となり、今でもポンデザール、ルーヴル美術館、造幣局などの美しいセーヌ下流の眺めを楽しむことができます。パリの橋には住居が並んでいた
今では信じられませんが、ポンヌフ以前のパリの橋には住居がびっしりと並んでいました。橋の建設費を賄うために住居や店舗を建ててテナント料を徴収していたのです。しかし、人が密集して生活する空間では火事が起こりやすく、橋の崩壊の原因にもなっていました。住居のないポンヌフは、そのような問題を解決しました。その代わり橋の建設費は市民の税金から賄われるようになりました。

ポンヌフとサマリテーヌ百貨店
パリに生まれた祝祭的な空間
もともとポンヌフはアンリ3世の時代(1578年)にアンドルエ・デュ・セルソーの設計により礎石ができましたが、王の暗殺により工事は中断し、橋の完成は次の国王アンリ4世に引き継がれました。パリで最初の石橋だったポン・ヌフは「橋の上に建物がない初めての橋」でもありました。当時のパリの橋はどれも建物がたくさんひしめき合い、橋の上で生活をしている人がたくさんいました。今まで橋の上はびっしりと立ち並ぶ家の陰で薄暗く光が差さないことが普通でした。そのため、ポンヌフの上から見るセーヌの明るく美しい眺めはパリの人々にとって全く新しいもので、橋の上の半円状の場所には多くの見世物小屋や露店、膏薬売り、大道芸人、手品師、香具師、力自慢、そして人ごみに乗じたスリまでもが集まり、多くのパリ市民でにぎわいました。こうして、歩道ができた初めての橋ポンヌフはパリ散策者にとって最適の場所になりました。つまり当時ポン・ヌフは橋であるだけでなく、人々が散歩する歩道であり祝祭の広場だったのです。サマリテーヌ創業者はポンヌフの露天商だった
パリの老舗デパートとして有名なラ・サマリテーヌ。その創業者であるエルネスト・コニャックはもともとポン・ヌフの上でネクタイを売る露天商でした。1870年コニャックはボン・マルシェの店員だったマリー=ルイース・ジェイと結婚して、サマリテーヌをオープン。デパート全盛だった時代にできたサマリテーヌは急成長を遂げていきます。サマリテーヌの建てられた場所はポンヌフから見える絶好のロケーションでした。

ポンヌフ
オスマンによって橋の上のお店がなくなる
庶民の集まる場所だったポンヌフはその後、交通の便が悪くなり、店の撤去などが行われましたが、それ以降も新たに店が立ったりと混雑と賑わいは続きました。しかし1855年、セーヌ県知事オスマンによるパリ改造で、橋の上のお店は全て撤去されました。橋の両側にある道が拡張されたため、車道としての利用が優先されたためでした。ちなみにこのとき橋の上にあった書店はセーヌ河岸に移動し、今のパリ風物詩であるブキニストができあがったと言われています。
ポン・ヌフとサマリテーヌ百貨店
橋の上のサマリテーヌ
かつてポン・ヌフの上にはお店や住居だけでなく給水塔が設置されていました。パリは昔から水不足に悩まされ、セーヌ川の水を汲み取って使っていました。1608年に完成し、セーヌ川の水を水車とポンプによってくみ上げてパリの住宅に供給していました。給水塔には金色に塗られた鉛製のサマリテーヌ(キリストに水を与えた女性)の彫像があったため「サマリテーヌ給水塔」と呼ばれていましたが、約200年後の1813年に取り壊されてしまいます。当時の給水塔は時計付きの三階建ての建物で、15分ごとに鐘が鳴ったそうです。現在サマリテーヌの名はポン・ヌフの右岸側にできたサマリテーヌ百貨店(改装中)に受け継がれています。
ポンヌフのマスカロン
川を見下ろす怪物の仮面たち
他の橋にはないポン・ヌフの見どころの一つが、橋につけられた彫刻です。橋脚に支えられた12個のアーチの側面にはマスカロンと呼ばれる怪物の顔面像が装飾されています。面白いのは、これらの怪物の顔が一つ一つ異なるところ。一説によれば、ポン・ヌフを作ったフランス国王アンリ4世の部下たちの顔がモデルとも言われています。現在見られるポン・ヌフのマスカロンは修復されたものですが、オリジナルのマスカロンが橋の下のヴェール・ギャラン公園に置かれています。興味のある方は是非探してみてください。
アンリ4世の像(ポンヌフ)
橋の上に立つアンリ4世
橋の上を通ると、橋の中央に大きな騎馬像が現れます。これはポンヌフを作ったフランス国王アンリ4世の像。最初の像は1635年に建造され、フランス革命の時に破壊されました(彼が創始した王朝だったため)。フランス人に愛されたブルボン朝最初の国王は、好色な性格だったことでも有名で、現在は偶然にも秘密を隠すようにひっそりとたたずむドフィーヌ広場の先端を覗き見る形で立っています。絶対君主制を誇示するために人の多いポン・ヌフの中央に立てられた像でしたが、当時の人々はこの「王ののぞき見」的な位置関係を面白がったそうです。このことはシュールレアリスムの作家アンドレ・ブルトンの著作「ポンヌフ」に書かれています。ポン・ヌフが舞台になった映画
ポン・ヌフを舞台にしたフランス映画をご紹介します。これらの映画に共通するのはポン・ヌフがただの都市の風景としてではなく、出会いと別れ、過去と現在が交錯する象徴的な場所として描かれている点です。パリ最古の橋としての歴史性と、セーヌ川を跨ぐ橋という物理的特性が、様々な映画作家によって物語の重要な要素として取り入れられています。『ポン・ヌフの恋人』(Les Amants du Pont-Neuf)
パリ最古の橋であるポン・ヌフを舞台にした『ポン・ヌフの恋人』は、1991年にレオス・カラックス監督によって制作されました。ジュリエット・ビノシュとドニ・ラヴァンが主演を務めています。物語は視力を失いつつある芸術家ミシェル(ビノシュ)と、アルコール依存症のホームレス、アレックス(ラヴァン)の出会いと恋愛を描いています。修復工事中のポン・ヌフで二人は共に暮らし始め、荒廃した橋の上で愛を育みます。フランス革命200周年祭のシーンでは、橋の上から打ち上げられる花火を二人が見上げる美しい場面があります。アレックスがミシェルの目が見えなくなることを恐れ、彼女を自分のもとに留めようとする行動が物語に緊張感をもたらします。
フランスでは芸術性が高く評価されましたが、制作費の膨大さ(当時のフランス映画としては異例の約2億フラン)と商業的失敗が批判されました。実は映画の中のポン・ヌフは実際のポン・ヌフではなくフランス南部のカマルグに造られた実物大のセットで、本物そっくりの精巧さが話題にもなりました。
『白夜』(Quatre Nuits d'un Rêveur)
『白夜』は1971年にロベール・ブレッソン監督によって制作されたフランス映画です。ギヨーム・デ・フォレとイザベル・ヴァイスが主演を務めています。ルキノ・ヴィスコンティ監督による1957年の映画『白夜』(Les Nuits Blanches)と同じくドストエフスキーの同名短編小説を原作としていますが、ブレッソンは舞台を1970年代のパリに移し、独自の静謐な作風で再解釈しています。物語は芸術家志望の孤独な青年ジャック(デ・フォレ)と、恋人の帰りを一年間待ち続ける女性マルト(ヴァイス)の四夜に渡る交流を描いています。
ポン・ヌフは映画の重要な舞台として登場します。特に冒頭のシーンではマルトがセーヌ川に身を投げようとするポン・ヌフの上でジャックと出会います。古い石造りの橋の上から見下ろすセーヌ川の夜景、橋の上のガス灯の明かりが二人の出会いに詩的な雰囲気を与えています。その後も二人の散歩や語らいの場面でポン・ヌフは何度も登場し、パリの夜の静けさと若者の孤独を象徴する空間として描かれています。
フランスの映画評論家たちは、ブレッソンの簡素で厳格な演出と、現代のパリという都市空間を通じてドストエフスキーの原作を新たに蘇らせた点を高く評価しました。特にカイエ・デュ・シネマ誌では「都市の詩学」を体現した作品として称賛されています。しかし商業的には大きな成功を収めず、ブレッソンの作品の中では比較的知名度の低い作品となっています。
この映画におけるポン・ヌフは単なる背景ではなく、夢想家たちが現実と空想の境界で出会う象徴的な場として機能しており、ブレッソン独特の静寂と精神性を帯びた映像美の中で重要な役割を果たしています。
ルノワールが描いたパリジャンの幸せ
印象派の画家オーギュスト・ルノワールも夏の光にあふれるポンヌフを描いています。夏に太陽の光のあふれるポン・ヌフを歩けば、ただ生きていることの幸せを実感することができます。それはきっと、パリの中心にあるシテ島の先端にかかる橋だから。橋の向こうは景色が開け、アンリ4世像の向こうにはセーヌの下流が眺められます。シテ島の先端にあるヴェール・ガラン公園へはアンリ4世像の近くの階段から降りられます。まるで船の舳へ行くかのように公園を歩けば、セーヌという海を航海する船に乗っているような気分になれます。- パリ観光基本情報
- ポンヌフ / Pont Neuf
- パリの観光地
- オープン(完成):1606年
- 住所:Pont Neuf, 75001 Paris
- 最寄メトロ:Pont Neuf(ポン・ヌフ)
- エリア:シテ島
- カテゴリ:パリの観光スポット
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ポンヌフへのアクセス(地図)
ポンヌフへのアクセス(地図)