パリの観光スポット
パリ観光地:アンヴァリッド(オテル・デ・ザンヴァリッド)

アンヴァリッド
L'Hotel des Invalides

ナポレオンが眠るフランス退役軍人のための療養所   
パリ観光地:アンヴァリッド
パリ観光地:アンヴァリッド
パリ観光地:7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド
パリ観光地:アンヴァリッド前の芝生で寛ぐ人々

アンヴァリッド

最終更新日:
パリ観光地:アンヴァリッド前の芝生で寛ぐパリの人々(後ろに見えるのがアンヴァリッド)
アンヴァリッド前の芝生で自由なひと時を過ごすパリジャン

アンヴァリッドとは
パリにある歴史的建造物で、元は傷病兵のための施設。現在は軍事博物館がある観光名所となっていて、ナポレオンの墓があることで有名です。

ルイ14世が建てた軍人のための聖域

パリで最も豪華絢爛な橋であるアレクサンドル3世橋を渡ると、その先に黄金のドームを冠した建物が見えてきます。ここはフランスの人気観光地の一つであるアンヴァリッド(L'Hotel des Invalides)。パリ7区にあるフランス退役軍人のための療養所です。フランスの英雄ナポレオンの墓がある場所として有名で、パリ観光の人気スポットになっています。

アンヴァリッドはどんな意味?
アンヴァリッド(Invalides)はフランス語で「無効」という意味。正式名称はオテル・デ・ザンバリッド(L'Hotel des Invalides)で、日本語で「廃兵院」と訳されています。ブルターニュ地方の表現で病気になることを「アンヴァリッドへ行く」と言いますが、それはかつてアンヴァリッドに入院していた水兵にブルターニュ出身者が多かったためだと言われています。

フランスのために戦った軍人たちを讃えたこの建物には今も100人ほどの傷痍軍人が暮らしています。栄誉の中庭(Cour d'Honneur)と呼ばれるアンヴァリッドの中庭の北側には軍事博物館(Musee de l'Armee)があります。かつてここは退役軍人たちのための広い食堂がありました。博物館内にはフランス軍の歴史に関する国内最大のコレクションがあり、フランソワ1世の剣やアンリ2世の兜や戦車などが展示されています。

マニア向けの博物館も
軍事博物館の入場料を払えば、アンヴァリッド内のすべての施設を見学することができます。立体地図博物館(Musee des Plans-Reliefs)はフランス国内の都市や要塞(城)の縮尺模型を集めたマニア向きの博物館で、フランスの建築に興味のある人にはおすすめです。

パリ観光地:7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド
7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド前広場

アンヴァリッド前の芝生はパリジャンの憩いの場

アンヴァリッドの前庭(Esplanade des Invalides)は広大な芝生となっていて、パリジャンの憩いの場になっています。1704年〜20年の間に整備されたその芝生の道の長さは500メートルもあり、フォブール・サン・ジェルマン地区とエッフェル塔周辺地区の境になっています。これほどの空間の広いパースペクティブはパリの街中ではなかなか見られず、とても開放的で心地よい。7月14日の革命記念日には戦車などの軍用車が登場し、ここで盛大なイベントが開催されます。アンヴァリッドの前にはセーヌ河が流れ、パリで一番豪華な橋であるアレクサンドル3世橋が架かっています。橋と一緒にアンヴァリッドを撮影できる場所として人気です。夕暮れにはルイ14世時代の黄金のドームが黄昏の空に輝きます。

アンヴァリッドの歴史(17世紀):沼地から軍人療養所へ

現在のアンヴァリッドが建つ場所はもともとグルネル地区(Quartier de Grenelle)と呼ばれる不毛の沼地で、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の所有地でした。ルイ14世はこの地に、戦争で傷ついた軍人たちを収容する壮大な施設を建設することを決めます。目的は、彼らの功績を称えると同時に、パリ中心部から戦傷者の姿を遠ざけるという意図もありました。1674年、収容人数4000人規模の軍人療養所が開設され、退役軍人には住居と食事が与えられました。規律は厳しかったものの、ここは施療院と養老院を兼ねる画期的な施設でした。

アンヴァリッドの歴史(18世紀):黄金のドームと宗教建築

ルイ14世の命で工事は続き、1706年に壮麗なドーム教会が完成しました。これは建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールによるもので、後に「太陽王様式」を象徴する傑作とされます。ドーム教会と隣接するサン・ルイ教会は、中庭を挟んで一般兵士と王族・貴族が礼拝を分けて行えるよう設計されており、今日でもアンヴァリッドを象徴する建築群となっています。

アンヴァリッドの歴史(1789年):フランス革命と武器庫襲撃

1789年7月14日、パリの民衆はバスティーユを襲撃する前に、まずアンヴァリッドへ押し寄せました。目的は武器庫に保管されていた銃と大砲を奪うためです。この日、約3万2000丁の銃と数十門の大砲が持ち出され、その後の革命蜂起を支える火力となりました。したがってアンヴァリッドは、バスティーユ襲撃に先立つ革命の重要な舞台であったとも言えます。

アンヴァリッドの歴史(19世紀):ナポレオンとアンヴァリッド

アンヴァリッドは「勝利の寺院」として軍人にとって特別な場所でした。ナポレオンも兵士たちを見舞い、施設の充実に資金を投じました。彼の死後、1840年にルイ・フィリップ王の決定で遺体はセント・ヘレナ島からフランスへ戻され、彼の勝利が刻まれた凱旋門を通りシャンゼリゼ通りを経てアンヴァリッドのドーム教会に安置されました。大理石に覆われた棺は6重構造になっており、軍事的栄光を象徴しています。中庭にはかつてヴァンドーム広場の円柱を飾っていたナポレオン像が立ち、訪れる人々にその存在感を示しています。

他には誰が眠っている?
アンヴァリッドにはナポレオン・ボナパルトの他にも、ナポレオン2世(ナポレオンの息子)、ジョゼフ・ボナパルト(ナポレオンの兄)、ジェローム・ボナパルト(ナポレオンの弟)、クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール(フランス国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」の作者)、フェルディナン・フォッシュ(第1次世界世界大戦の将軍)、フィリップ・ルクレール(第2次世界大戦の将軍)などの偉人が眠っています。

アンヴァリッドの歴史(20世紀以降):軍事博物館と記憶の場

19世紀半ば以降、アンヴァリッドは軍事史の記録と顕彰の場として役割を広げました。1905年には軍事博物館(Musée de l’Armée)が創設され、今日では中世から現代までの膨大な武具・軍服・絵画を所蔵しています。また、第一次世界大戦後には「無名戦士の墓」の設置も検討されましたが、最終的に場所は凱旋門に決定されました。それでもアンヴァリッドは国家的追悼式典や軍の儀式が行われるフランス随一の記念空間であり続けています。

アンヴァリッドの歴史(現代):現代のアンヴァリッド

現在のアンヴァリッドは、軍事博物館としてだけでなく、国家的記憶の象徴として位置づけられています。ナポレオン以外にも、フェルディナン・フォッシュ元帥やフィリップ・ルクレール大将など、フランス軍の英雄たちが眠る霊廟であり、国の歴史を物語る場です。黄金のドームは今もパリの街並みを輝かせ、観光客と歴史愛好家を惹きつけています。

観光で訪れるアンヴァリッド

今日のアンヴァリッドは、軍事史と記憶の場であると同時に、観光客にとっても魅力的な訪問地です。黄金のドームをいただくドーム教会では、ナポレオンの壮麗な墓を間近に見ることができ、その威容は訪れる人々を圧倒します。隣接する軍事博物館では、中世の甲冑から第二次世界大戦の装備まで幅広い展示があり、フランス軍事史を一望できます。広大な中庭は荘厳な雰囲気を漂わせ、記念碑や彫像がフランスの栄光を物語ります。また、サン・ルイ教会では軍楽隊の演奏会や特別ミサが行われることもあり、歴史的建造物でありながら今も生きた文化の舞台です。
パリ観光基本情報
アンヴァリッド / L'Hotel des Invalides
パリの観光地
オープン(完成):1674年
住所:129 Rue de Grenelle, 75007 Paris
最寄メトロ:アンヴァリッド(Invalides)、ヴァレンヌ(Varenne)、ラ・ツール・モブール(La Tour-Maubourg)
最寄RER:アンヴァリッド(Invalides)
エリア:パリ7区
カテゴリ:パリの観光スポット
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アンヴァリッドへのアクセス(地図)
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