「人生の秋」を巡るミステリアスなドラマ
『焼け石に水』や『スイミング・プール』で知られるフランスの名匠フランソワ・オゾン監督の最新作。2024年サン・セバスティアン映画祭脚本賞と助演俳優賞を受賞した。監督の子供時代の思い出から着想を得て制作された映画で、彼自身が幼少期によく訪れていたブルゴーニュ地方が舞台。主人公ミシェルを演じたのは映画や舞台で活躍するベテラン女優エレーヌ・ヴァンサン。その親友マリー=クロード役にジョジアーヌ・バラスコ。その息子役にサン・セバスティアン映画祭で助演俳優賞を受賞したピエール・ロタン。そして日本でも人気を博した『スイミング・プール』のリュディヴィ−ヌ・サニエが約22年ぶりにオゾン作品に出演し、ミシェルの娘役を演じている。誰にでも訪れる老後。残りの人生を豊かに過ごすためにミシェルが抱える秘密とは何か。美しい秋のブルゴーニュを舞台に繰り広げられる人生の秋を巡るミステリー。

"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
あらすじ
ブルゴーニュで一人静かに暮らすミシェルは、庭仕事や教会での礼拝を日課とし、友人マリー=クロードとの交流を支えに穏やかな日々を送っている。ある秋の日、離婚協議中の娘ヴァレリーと孫ルカがパリからバカンスでやってくる。森で採ったキノコで手料理をふるまうが、食事が原因でヴァレリーが中毒症状を起こし病院へ。命に別状はなかったものの、娘たちは滞在を中止してパリに帰り、ミシェルは孫との再会の機会を失う。深い喪失感の中、マリー=クロードの服役中だった息子ヴァンサンが町に戻ってくる。彼の更生を信じるミシェルは彼に庭仕事を依頼し、ヴァンサンもミシェルを頼って心を開いていく。やがてミシェルの孫への強い想いを知った彼は、密かにパリへ向かう決意を固める。しかしその後、ミシェルに新たな悲劇が訪れる。
"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
どこにでもある孤独
この映画の大きなテーマの一つとなるのが誰もが感じる孤独の問題だ。主人公は80歳のフランス人女性ミシェル。娘と孫を深く愛しているが、逆に娘はある過去との確執から彼女を強く憎んでいる。ミシェルの愛は娘には届かない。大自然の中で暮らす田舎の生活は静かで満たされているように見えるが、そこで暮らす彼女の表情には独りに対する不安も垣間見える。愛の不確かさと孤独、そして老いへの不安。彼女はかかりつけの医師に「老いが怖い」と告げる。またミシェルだけでなく他の登場人物もそれぞれの孤独を抱えている。ミシェルの娘ヴァレリーは夫と離婚協議中で、頼る人が誰もいないパリで息子と不安定な生活を送っている。息子のルカもどこか寂し気で、母親からの愛を感じていないように思える。友人のマリー=クロードも夫が不在であるし、その息子ヴァンサンは出所したばかりで社会復帰中の独身者だ。この映画にカップルが一組も出てこないのは、現代人の孤独な状況を表しているのかもしれないし、それはもしかしたら現代社会のどこにもでもあるごく普通の人生ともいえる。
しかし、そこにオゾン監督はキノコの毒という不穏な要素を入れることで平凡な物語に独特の世界観を与え、この映画をミステリアスで複雑なものに仕立て上げている(キノコ料理の食中毒に関するエピソードは監督自身が実際に子供の頃に体験した実話らしい)。そして、ストーリーが進むにつれて隠されていたミシェルの感情と過去が少しずつ浮き上がってくる。

"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
心のどこかにある罪悪感
この映画全体を覆う感情の一つが罪悪感だ。オープニングの教会の場面では神父がマグダラのマリアの話をする。彼女はパリサイ人から罪深き女と言われるが、その深い愛情ゆえにイエスによって赦される存在。そんなマグダラのマリアにミシェルは共感しているように見える。それは彼女自身が自らを罪を犯した女性と感じ、それでも誰かに許されたいと願っているせいなのかもしれない。また、キノコによる食中毒の一件は事故として扱われるが、娘から「ママは私を毒殺しようとした」と言われたミシェルは強いショックを受ける。その瞬間、新たな罪の意識が彼女の中に生まれる。そして彼女自身もそれが本当に事故だったのか分からなくなる。あのときキノコ嫌いのルカと食欲がなかったミシェルは口に入れず、ヴァレリーだけがキノコを食べたのだった。もしかしたら自分は娘を殺そうとしたのではないか。そんな不確かな罪悪感に駆られているようにも見える。
かかり付けの病院でミシェルは医師に老いることの怖さとそれがキノコの中毒事件と関係していることを言う。医師は「間違いは誰にでもよくあること」「罪悪感を覚えたり自らを罰する必要もない」と慰めるが、彼女は医師にあれが故意だったのかどうか「覚えていない」と告げる。そのとき観客は彼女がキノコを選別しているときの様子を思い出すかもしれない。彼女は時折深刻な表情で何かを考えていた。しかし、その思考の中身まではわからず、彼女の真意は謎のままだ。

"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
良かれと思ってしたことが引き起こす新たな悲劇
食中毒事故の真相が曖昧なまま物語が進む中、マリー=クロードの息子のヴァンサンが刑期を終えて町に戻ってくる。昔からヴァンサンを知るミシェルは歓迎し、彼に自分の庭の手入れの仕事を頼む。彼はいずれ地元で小さなバーを開きたいと考えており、少しでも資金が必要だったのだ。彼女は誰にでもやり直すチャンスはあると考えていて、彼が社会復帰することを心から願っていた。そんなとき、新たな悲劇が訪れる。パリで娘ヴァレリーが謎の転落死をしたのだ。娘の死を電話で聞いたミシェルは自分の庭で倒れそうになる。その日、なぜかヴァンサンは庭仕事に来ていなかった。実はヴァレリーに最後に会ったのがヴァンサンだった。彼は孫に会えずに悲しむミシェルのために、ヴァレリーと話をしにパリへやってきていた。ヴァンサンはヴァレリーに「君の母親はいい人だ。彼女に孫を会わせないのは良くない。態度を改めろ」と言って迫る。ヴァレリーは母への嫌悪を露わにして「私は身投げしたいほど不幸」だとヴァンサンに告げる。その直後、ミシェルはアパートから転落する。しかし直接的な死因は描かれず、その真相はやはり曖昧なままでわからない。
しかし、結果としてその後ヴァレリーの息子ルカは祖母であるミシェルの元に預けられ、彼女は一度はあきらめていた孫との素晴らしい日々を過ごす。彼女は娘の死にも関わらず新たな生活を楽しんでいるようにも見える。その死はたしかに悲劇だったが、彼女の老後に新たな人生が与えられたのだった。のちにマリー=クロードは病気での入院中に「息子が道を誤ったのは私のせいだ」とミシェルに告げる。彼女は息子が罪を犯してしまったことを確信し、その罪悪感にずっと悩んでいたのだ。「良かれと思ったことが裏目に出る」と嘆くマリー=クロードに対し、ミシェルは「良かれと思ったことをすればいいのよ」と返す。その言葉がただの慰めだったのか、もしくは彼女の本音だったのかは分からない。

"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
彼らが抱える過去
この映画を構成するもう一つの要素は登場人物たちの過去だ。それが秘密や罪悪感を抱える原因となっている。娘の死後、ミシェルは警察に「私は母親失格です」と告げる。そして自分がある時期に娼婦として生計を立てていたことを告白する。そのとき観客は初めて、娘が母を嫌っていた本当の理由を知る。そして映画の冒頭でマグダラのマリアに共感を示していたことを思い出す。また刑務所帰りのヴァンサンも罪を犯した過去を持っているが、具体的な理由は映画では描かれない(密輸の仕事に関わっていたことだけが語られる)。過去が彼らの人間関係を知るうえで重要な要素となっているが、この映画に過去の回想シーンは一度も出てこない。それはもしかしたら今生きていることが大事であるという監督のメッセージなのかもしれない。曖昧なミステリーと唐突なファンタジー
人生において、誰もがなにかしらの嘘と秘密を抱えている。この映画はある種のミステリーだが、真実は曖昧なまま終わっている。後半になって、ヴァレリーの死の真実にたどり着いた警察がミシェルの家にやってくる。しかし事件は解決しないまま終わる。娘の死に疑問を抱く警察の聴取にミシェルはある嘘をつく。孫のルカも自分が知っている事実を警察に話さない。そしてキノコが嫌いだったルカは、のちに青年になってから実は昔から好きだったよとミシェルに告げる。どこまでが本当なのかが映画では明かされない。彼らの本当の気持ちは観客に委ねられる。真実よりも嘘を選ぶことで、誰かを守ろうとするし、生きたい人生を生きようとする。誰にも言えない秘密と罪悪感を抱えて。またこの映画はミステリーであると同時にある種のファンタジー映画でもある。それは唐突に現れるヴァレリーの幽霊の存在だ。ミシェルの前にだけ現れ「私を殺したのはママよ」「あなたは私の息子を手に入れた」と言う。実際には彼女は殺してはいないはずだが、おそらく彼女の中にある罪悪感がこの幽霊を出現させたのだろう。ミシェルの心の奥底が垣間見える場面と言える。彼女は自分が殺したと考えているが、真相はやはり分からない。ミステリーとファンタジーが入り交じり、事件の謎に明確な回答は出さず、その判断は観客に委ねられている。

"Quand vient l'automne" photo by LONGRIDE, INC.
人生を象徴する森
この映画の主な舞台は彼女の家と町だが、それを包みこむのがブルゴーニュの広大な森。食中毒の原因になったキノコを採取したのも森であり、日々の生活の中で彼女が癒されるのも森だ。自然は人を殺しもするし、癒しもする(キノコの毒はキノコ自身が生き抜くための自然の力と言える)。そして映画の最後に彼女が訪れようとする場所も森である。映画は森での日常から始まり、深い森の中で幕を閉じる。苦しい過去と罪悪感を抱えて複雑だった彼女の人生が、シンプルで美しい生の循環の中に取り込まれていく。彼女が眠る秋の森は、どんな罪も赦してくれる慈悲深い存在のようでもある。そう考えると、森とは罪も過去もすべて隠してくれる人生そのものを象徴しているのかもしれない。季節の秋と人生の秋を重ねた、オゾン監督の新たな傑作が誕生した。
- フランス映画
- 『秋が来るとき』 / Quand vient l'automne
- 監督:フランソワ・オゾン
- 出演:エレーヌ・ヴァンサン、ジョジアーヌ・バラスコ、リュディヴィーヌ・サニエ、ピエール・ロタン
- 制作会社:FOZ / FRANCE 2 CINEMA / PLAYTIME
- 制作年:2024年
- 日本公開:2025年5月30日
- 時間:103分
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